さるかに合戦の話は誰でも知っていますね。柿の種を拾ったサルと握り飯を拾ったカニ、サルは「握り飯は食べてしまったら無くなるけど、柿の種は後でたくさん実がなるから」といってカニの握り飯と交換してしまった。その後のストーリーは皆さんご存知の通り。

サルはただ目の前の握り飯が食べたくて言ったのだろうけど、目先の握り飯より将来たくさんの実を付ける柿の種のほうが価値があるというサルの話はなるほどと思いますね。

ところで、この話で思い出されるのが、会津にもゆかりの深い旧長岡藩での、あの有名な「米百俵」の話。

戊辰戦争後、禄高を3分の1に減らされ、窮乏のどん底であえいでいた旧長岡藩で、文武総督に推挙された小林虎三郎は、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しようと、その実現に向けて動いていました。

そんな中、明治3年に長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきました。

窮乏生活にあえぐ藩士たちにとっては、のどから手が出るような米です。

虎三郎のもとには「早く米を分けろ」といきり立つ藩士たちが押し寄せます。

そのとき、虎三郎は藩士たちに向かってこう言います。

「この米を一日か二日で食いつぶして何が残る。国が興るのも、滅ぶのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。この百俵の米を元にして、学校を建てたいのだ。この百俵は今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、いや、米俵などでは見積もれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡藩は立ち上がれないぞ。あたらしい日本は生まれないぞ」

・・・そして、その日の食うものにも事欠く藩士たちも、未来に希望を託すことを選択したのでした。

その年、長岡国漢学校が開校し、ここから、山本五十六元帥を始め、新しい日本を背負う多くの人物が輩出された、というお話です。

この話を聞くと「握り飯より柿の種」という言葉、本当に説得力があると思いませんか?

ただ、現実問題として、お腹がすいて死にそうなときに、将来の柿の実のために目の前の握り飯をあきらめられるのかどうか・・・難しいですね。

企業経営でいえば、「握り飯」は目の前の売上や利益でしょうし、「柿の種」は将来の会社を背負って立つ社員ということになりますか。

「教育はすべての業務に優先する」という言葉があります。会社の仕事で社員教育より大事な仕事はないということなのですが。

会社の業績が悪くなると、どこの会社でも経費の削減が行われますが、その中でも教育費は真っ先に削られる経費の一つですね。教育の効果ってすぐには現れません。じわじわーっと後から効いてくるものですから。

経営が苦しくなると、少しでも目先の利益を出すためにはそうするしかないのでしょうね。

それを考えると、当時の長岡藩の決断、志の高さ、すごいことですよね。