日経新聞の「私の履歴書」という欄にゴルフのジャック・ニクラウスが登場したことがあります。

その中で彼は、「錆びついていくよりも、磨り減っていく方がよい」というようなことをいっていましたが、妙に心に残る言葉でした。

肉体にしろ、精神にしろ、まだまだ使えるものを、甘やかして大事に扱うのではなく、死ぬ瞬間まで目いっぱい使いきりたいということでしょうか。

また、これに関連して次のようなことを紹介していました。

「ロシア、パキスタン、南米の高地に住んでいる人々は、110歳や120歳まで生きた後、この世に別れを告げる時を自分で決める。医学的に見て、どこも悪いところはないにもかかわらず、彼らは横になるとそのまま永遠の眠りにつく。」

これもすごい話ですね。日本にもころり観音といって、病気で寝たきりにならず、元気なまま寿命が来たらころりと死ねますようにとお願いをする風習があります。(たしか会津にもころり3観音とかありましたよね)。

いわゆる、「大往生」というやつでしょうか。うーん、こんな一生の終り方ができたら最高ですね。あこがれますねー。

で、なぜそのようなことができるのでしょうか?自分で自分の寿命を悟って、健康な体のまま、あの世へ旅立つなどということが。我々も望めばそのような死に方が可能なのでしょうか?

冒頭の、ジャック・ニクラウスの「錆びついていくよりも磨り減っていく方が良い」という話。

機械などの道具でも、使えるものを使わないでほったらかしにしておくと錆びつきます。また、ろくな手入れをしないで無理な使い方をすると、本来まだまだ使えるはずなのに、寿命が来る前にこわれて使えなくなってしまいます。大切に手入れをしながら、無理なく使うことで最後まで使い切ることができますね。

人間の肉体という道具も同じなのかもしれませんね。無理な負担をかけないで、本来の目的に沿った正しい使い方をしていくことで、寿命をまっとうでき、さきほどのロシアやパキスタンの人たちのような死に方、いわゆる大往生ができるのでしょうか。

自分自身を振り返ってみても、余計なことに神経を使ったり、しょっちゅうイライラしたり、飲みすぎたり、食べ過ぎたりと、随分乱暴な使い方をしてますものね。1つしかない自分の体なのに・・。

ま、大往生は無理かもしれませんが、せめて錆びつかせることだけはないように目一杯使い切らなければね。

・・・もったいないですから。